己のための消費活動について(グッズ)
私はサブカルコンテンツが大好きだが、コンテンツに纏わるグッズはあまり買わない性質である。特に、アニメ関連のキャラグッズにはなかなか手が伸びない。
コンテンツにとって、これほど足しにならない消費者はいないだろうと思うし、時に負い目も感じている。
代わりと言っては何だが、コンテンツを好きになると長いという自負はある。
動かなくなったコンテンツを何年も待ち続けたり、すこしの動きでメチャメチャはしゃぐ、霞喰らい消費者だ。
さて、そんな私も、かつては推しグッズを見たらはしゃぎ、買える範囲でめちゃめちゃ買うタイプの消費者であった。というのも、マイナーキャラを推しがちだったので、そもそもグッズが出ただけで気分はお祭りだったのだ。幸せだね。
それが昨今は、とんとグッズを買わなくなった。理由は明快である。グッズが目に入るたび、心がスッと凪いでしまうことがあったからである。
私の中のジャンルの火が、すっかりトロ火になったのだ。
推しのグッズは、ある意味では枷であると感じる。そのグッズを持つことにより、推しを推していることを示し、自分に対しても、推している人間を印象付ける効果がある。
それ故に、推しに対して疑問を感じてしまった日にはそれは心を繋ぎ止めようとする鎖に変わってしまう。
正しくは、私は推しから明確に心が離れた瞬間は無かった。
しかし、コンテンツに対しての疑問はふつふつと湧き出していたため、推しを見るたびにその背後にあるコンテンツを思い、心に薄いモヤがかかるようになってしまった時期があった。
その頃から、私は推しグッズやキャラグッズを手当たり次第に買うことは無くなった。一部コンテンツを除いて。
その『一部』とは
サンリオと阪神タイガースである。
先述の体験を経て、私は推すコンテンツについて考えるようになった。
そして、自分が安心して推せるコンテンツの条件とは何かを明確にした。
- コンテンツとしての強度があり、必要以上に『支えなきゃ』と気負わなくてもよい。
- コンテンツとしてのコンセプトがブレない。私が好きだったあのコンテンツはもう無いんだな……。と思わせない。
この2つを満たした(と感じる)コンテンツこそ、サンリオと阪神タイガースだった。
今やすっかりバッドばつ丸くんまみれの成人人間である。
そして、先日ついに腹を決めて、阪神の推し選手のアクスタを購入した。これは、私にとって今後10年阪神を推していこうという覚悟でもある。
購入した推し選手が来季以降も楽しく野球をしてくれて、女性を殴ったり、悪いビジネスに手を出したりしないことを願うばかりである。
何卒、何卒……。